福岡県の南部である八女市を中心に周辺の筑後市や広川町でも生産されているお茶「八女茶」。筑後平野の南側に位置するこの一体では温暖な気候、昼夜の大きな寒暖差、朝霧が発生しやすいというお茶の栽培に適した条件が揃っています。深蒸し煎茶が主流ですが、特に山間部ではかぶせ茶や玉露も生産されています。なかでも玉露の品質は全国でも長年高い評価を受け続けているほど有名。昔ながらの製法で栽培された「八女伝統本玉露」という高級な玉露に力を入れています。ほとんどの農家は翌年の一番茶の品質を上げるために、二番茶までしか収穫していないのも特徴の一つです。
産地
八女茶は福岡県南部、筑後平野一体で生産されています。「八女」という名前がついていますが、生産されているのは八女市だけではなく、周辺の広川町や筑後市でも生産されています。
福岡県の茶の栽培面積は全国5位で、その約90%が八女地域です。近隣に「星野茶」というブランドを持つ旧星野村がありますが、市町村合併などで現在は八女市となり、「八女茶」として統一、販売されつつあります。
この地域では1年を通して比較的温暖な気候を持ち、昼夜の寒暖差が比較的大きく、チャノキの栽培に非常に適しています。さらにこの地に流れる矢部川という川の流域では朝の霧が発生しやすく、チャノキへの日照時間が短くなるため、品質の良い茶葉が収穫されやすいのです。
歴史
八女茶の始まりは室町時代の1423年。中国の明からきた僧侶が現在の八女市黒木町の寺にチャノキの種を持ち込み、栽培法を伝えたのが始まりとされています。現在でもそのときに伝えたとされるチャノキを霊巌寺というお寺で確認することができます。
その後生産量が増えていき、江戸時代になると、地元だけでなく大阪や京都へも出荷されるようになりました。しかし距離が遠いことや販売するための資本が少ないことなど、いくつかの要因が重なり八女茶の普及にはつながらず、生産量も伸びませんでした。
江戸時代後期には距離が近い長崎が貿易港として認められたため、八女茶も長崎港を使ってアメリカなどの国々へ輸出されていきました。しかし、当時はお茶の栽培のノウハウや管理が十分ではなかったため、一部が「非常に品質が低いお茶」としてアメリカなどで問題にもなったようです。
大正から昭和にかけて、輸出から再び国内消費に目を向け、品質の改良を重ねていくことで現在の大きな茶の栽培地として八女茶は成熟していきました。
特徴
八女茶は「深蒸し煎茶」を中心に、「かぶせ茶」、「玉露」などとして仕上げられています。
深蒸し煎茶はチャノキの栽培地としての好条件もあり『コクがある旨みの強いお茶』です。
また、八女茶の玉露には「八女伝統本玉露」というものがあります。これは、生産する際に使用する覆い布に、古くから使用されてきた稲わらを使用しており、非常に品質が高い高級な玉露として知られています。現在はこの八女伝統本玉露を有名洋菓子店とコラボするなど、普及に力を入れています。
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